どもどもさまんさです。
えらい涼しくなってきましたね。娘とタオルケットを取り合いしておなかが冷えそうです。もう一枚持ってこよう。
佐野さんのエンブレム問題の報道を見て色々考える
独身時代は制作会社や広告代理店で働いていたので、今回の件をとっても注視しています。というのも、クリエイターの人がこんなに叩かれているのを初めて見たから…。かつて仕事で関わった色んな方たちが戦々恐々としているのではないかと案じております。
実兄が研究者なので小保方さんの時も他人ごとじゃなかったです。あのときの気持ちが思い出されて、胸がゾワゾワしています。1つミスを犯すと、世間はこんなに恐ろしい反応をするのかと。
クリエイターという仕事は真っ白なところから生み出してお金をいただいているので、もちろんパクリはまずいのですが、「かつて見た何か」に影響されてそれが無意識に作品に反映されるってことは脳の構造上仕方ないものだと思います。
佐野さんの場合、無意識だったのか、恣意的だったのかはご本人と会社、選考委員会の方たちのみぞ知ることなので、それは想像の範疇を超えないので触れません。
似てたら終わり?
例えばおれのこの文章も、誰かが書いた文章の雰囲気に必ず影響されています。誰かはわかんないけど、世の中に存在するすべての文章を見てきた人なら気付くかもしれません。昔読みまくった作家さんのうちの誰かと思います。ただし、それに気付ける人は今のところいません。そしてそのシステムも存在しない。今は。
文章の内容が一致する検索はすでにできあがっていますね。文章の雰囲気も検索で一致するときがいつか来るかもしれません。「このブログとこの小説の雰囲気、完全に一致www」と、ワタシがパクリ疑惑をかけられることなんて安易に想像できます。今回の件では「こんな小説知らんわボケ!」とどんなに反論しても、ネットで「パクリ確定」と言われたら、覆らないってことがよくわかりました。気をつけなければ。
googleによってもたらされたもの
たぶん概ねの方がお気付きだと思いますが、この件はgoogleの画像検索がなかったら、ここまで膨れ上がらなかったんですよね。ネット民の大勝利とか言われてますけど、10年前ならどうでしょう。
世の中に存在するすべてのデザインが、個人のスマートフォンで見られる時代が訪れた。検索すれば、安易に似たものを発見できる時代。その時代がエンブレムの公開時期と一致してしまったために、「クリエイター史上最も叩かれている人物」になった。エンブレムをデザインしたのがたまたま佐野さんだった。そんな風に思うんですよ。
同じ時代に生きて、同じモノを見て育ったら、同じ思いつきをすることなんてあるに決まってるんですよ。例えば「ときめき」って見たら「トゥナイト」を思い出す1970〜1980年代生まれの女性なんて山ほどいるじゃないですか。「ときめきを絵で表現してください」って言われたら、ハートまみれの真壁俊くんみたいな男子と江藤蘭世ちゃんみたいな女子の絵を真っ先に描きますよ、ワタシ。無意識の刷り込みですよ。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/ときめきトゥナイト
「Tをアレンジするならこんな感じどう?」って「同じようなもの」を思いついた人が、同じ時代に2人いたって不思議じゃない(ヤン・チヒョルト氏の件はグレーですが)。同じ感性だったのかもしれない。そんな風に思わずに「パクリ確定」と決めつける風潮が怖い。
googleが発達すればするほど、クリエイターや研究者たちは、「無から何かを生み出す作業」以上に、「googleでかぶっていないか念入りに検索する作業」が必要とされ、それを行わないとすぐにネット民に叩かれる。その作業専用のスタッフが必要なくらい、「かぶってないかを確認すること」が重要な時代になったと感じました。
パクってなんぼの仕事と、無から作る仕事
ちなみにおれの仕事はどうなのか。ピラティスのインストラクターをしていますが、まず「ピラティスを作ったピラティスさんの信念やエクササイズを完コピ」→「アレンジしてオリジナリティを出す」という作業を行います。
パクリじゃないのか、と言われたら、完全にパクリです。ピラティスさんのパクリでもあり、それを脈々と伝えてきた諸先輩方インストラクターさんたちのパクリを平然と行っています。むしろ正確にパクることを求められる。それがインストラクター業だからです。
基本パクりから始まる仕事なので、佐野さんのように叩かれることはないと思います。無から生み出す必要がない仕事というのは、気がラクなもんです(逆に間違ったピラティスを指導したらイカンので、この仕事特有のしんどさはあります)。
世の中には諸先輩方からの指導を真面目に受け継いで、やり方をパクりまくるほうが評価される仕事もあれば、無から作ることを要求され似ているものを作っただけでリンチに遭う仕事もある。
どっちがスゴいとかではなく、質がまったく異なって、同じ目線では語れないんです。
ただ、自分の仕事とクリエイターの仕事、どちらも通ってきたおれからすると、どっちもしんどいけど、やっぱり無から生み出すほうがしんどいです。マニュアルや教科書があるって、すごくありがたい。
早く解放されますように。
無から何かを生み出さないといけない仕事の人って、世界中のどれくらいの割合でいらっしゃるんでしょうか。すごく少ない割合と思います。
そのすごく少ない人達が「生み出すしんどさを背負っている」ってことは気にしておいてほしいところです。一歩間違えたら「似てる」と責められまくる、こんな仕事をあえて引き受けてくれている。
誰かが「生み出すしんどさ」を背負ってくれているから、世の中にはステキなデザインがあふれている。映画や音楽、絵画、漫画が存在する。
オリンピックのエンブレムだけじゃなくて、何気ない看板やロゴ、雑誌や本の表紙、漫画や映画、ドラマは、誰かが真っ白なところからすごくがんばってがんばって、ようやく生み出した成果なんだってことを少しでも意識する国民性があれば、あんなアラ探しで盛り上がることにはならなかったのにな、と残念に思っています。
そう、今回の件はすごく残念なんです。
「無から何かを生み出す仕事をして、家族やスタッフを食わしていくぞ」と、あえてしんどい道を歩むと決めたひとりの男性が、あんなふうに責められたって事実が残念すぎる。
胸が痛い。ツラい。佐野さんのことを好きでもなんでもないんですが、毎日どんな心境なのかなと、気にしながら生きています。
「おめー、元同業だからってかばってんじゃねーよ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、生み出す仕事をしたことのある人なら、みんな同じ気持ちじゃないかな。
何かを生み出す仕事から逃げたさまんさから、今クリエイティブの仕事を頑張っている方たちに、尊敬と感謝の気持ちを込めたいと思います。そして佐野さんや佐野さんと一緒にデザインの仕事をしてきた人たちが、1日でも早く、責められる辛さから解放される日が訪れることを祈っております。
おわり
※選考委員のどうのこうのは知らん!
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