どもどもー!南大阪・河内長野のピラティスもできる整体サロン
「Reset」のさまんさ(新名悟子・しんみょうさとこ)です♪
先日、地域創生についてのヒアリングに参加してきました。
地域創生というのは、地域の再生・活性化を行おうとする取り組みのこと。
とある企業さんが中心となって、「河内長野、これからどしよ?」と考えてくださっているようです。ありがたいことです。
いち住民として、いち働く女性として、お呼びがかかり、光栄です。
おれの住む「河内長野」の変化。
おれは35年前に河内長野で生まれました。
昔の写真や記憶を引き出すと、ずいぶん変わったと感じるこの街。
特に関空が開港されて、外環状線ができて、小学生だったおれの生活圏にあった田んぼや山はたくさん開発されて、すごく便利になりました。

↑いまの上原交差点にある神座(ラーメン屋)河内長野店あたり。
たぶん1983年頃。まだ外環状線もないんす。
外環状線の工事が本格的にはじまったのは1987年くらいからでした。
1990年代前半の外環状線の開通が、河内長野に急激な変化をもたらしました。
河内長野の便利な場所=「駅前」ではなく、「外環状線沿い」にシフトするきっかけになったと思います。
2000年代からの大小いろいろな変化。
1998年の大学入学から10年間はこの街を離れました。
その間の変化たるや!
この時期の前後に市役所、ラブリーホール、キックスなどのハコモノができたというのもあります。
2008年の結婚をきっかけに戻ってきてからは、たくさんの嬉しい変化に気付くことができて。
「え、ここにこんなスーパーできたん?」とか「え、ここ、えらい可愛いお店できたのね」とか。
特に外環状線沿いにメジャーなスーパーが増え、暮らしに便利な街になったんじゃないかなと思います。
んが、やっぱり気になる「あ、あそこ閉まっちゃったんや」という、切ない変化。
小さいお店はもちろん、駅前の商店街通りや、河内長野スイミングクラブ、スーパーやまもととか、小学校とか、フレンドリーとか。
そこにあって当たり前だった、大きな会社の建物や公共施設がなくなって、違うものに変わっていく。
イズミヤも怪しいよね。あの駐車場、昭和すぎる。
大きな会社の建物は、だれかが引き継いでくれたり、市の管理下に置かれたりして、また違う嬉しい変化になるんだろうけど、小さなお店たちの跡には、悲しいかな「テナント募集」の張り紙が何年も貼られたりしていて。
特に駅前の変化は著しかった。
ノバティの中はコロコロ変わるし、駅前の商店街の荒み方には涙がでる。
サンプラザが商店街にあったときのにぎやかさを、まだまだ鮮明に覚えているのに。
住宅街もそう。昭和に開発されキレイな色のおうちが並んでいた、自分たちが生まれ育ったあの街。
見ているうちに、どんどんくすんでいく。空き家も増えていく。
もう誰も新しい街の開発なんて望んでないのをわかってる。もう山を切り崩すのはやめてほしい。
今はくすんでしまった街並みに、もう一度鮮明な色を取り戻したい。
開発業者じゃなくて、色を塗り直してくれる業者が来て欲しい。
と思ってたところ。
そうか、その街に暮らす人たちが、変えることもできるんだな。と。
おれも何かできるんだろうか。うーん。わかんない。
でもこの街を好きって気持ちはわりと強いぞ。
「おれにも何かできないか」を考えるってことが大切なんだな。
しゃべりまくりながら、いろいろな思いがあふれるヒアリングでした。
今年の目標のひとつに「河内長野と積極的に向き合う」というものがあるので、またこういった機会があれば、参加したいなと思います。
河内長野のことを一緒に考えるイベントがあります

↑これにも参加予定です。詳細は以下のリンク。
おれの愛する近咲暮さん、ナボットさんご夫妻が登壇されます。
こう見えて「政策科学部」っていう「まちづくり」のことを学ぶ学部出身なので、ワクワクしてます。
どなたでもご参加できるので、一緒に行きませんか?
「河内長野で暮らす」ハラをくくろうぜ。
「河内長野で暮らす」を楽しむプロになろうぜ。
「河内長野の何かを変える」種になろうぜ。
35年も河内長野の人だったのに、そんな気持ちを持って生きるなんてはじめて。
けっこう楽しいぞ。むむむ!
ほなほな今日はテストです。
がんばりまっす。
2016.1.12.さまんさ
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■来年何かしたいなあ〜でも何したらいいかわからんな〜とお悩みの方
レッスンは単発制、チケット制(すべてのレッスンで利用可)です。
比較的自由度が高いです。
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